「生類憐みの令」の真実

☆☆☆

仁科 邦男 (著)

Version 1.0.0

「生類憐みの令」の真実 単行本 – 2019/9/20

 副題に「将軍は動物を愛してはいなかった」とあります。生類憐みの令は動物愛護の精神からではなく自己の子孫繁栄=世継ぎの誕生・育成を祈願する仏教的な精神からという結論です。
 おそらくそうだったんだと思います。ちょっと前(50-70年前)まで人を殺すことが普通の戦乱の世であった江戸時代初期に動物愛護の精神が形成されたとは思いづらいです。また、武士に無礼をはたらいた武士以外の民には「切り捨て御免」が許されている時代です。逆に言うと「切り捨て御免」の時代に、例え武士でも馬や犬を故意に殺すと死罪・遠島になるという矛盾が誰にも理解できなかったんでしょう。作者は犬よりも馬に対する令が厳しかったように主張しています。馬は武士にとっては大事な武器なのでそれもうなずけます。
 思想は無くても、結果としてはみんなが動物を大切にしたようです。食べる目的で動物を飼うことは禁止され野生動物の食用目的の捕獲も多くは禁じられたようです。驚くのは将軍の権力です。壮大な保護施設を作ったり、常識を変えることまでできるのです。屋敷の前に犬がいたら「食事を与え」「病気なら治療し」「他に移動させたりしない」を守らないと武士でも罰せられます。ただ、いろいろなケースがあるので沢山の令が出されたようです。割と温情なものもあります。貧しいハマグリ売りの漁はそれがないと生きていけないので許すとか。そういう決定に老中までかかわっていたようです。逆に酔っぱらって馬を刺した武士などは厳しく処罰されています。過去なのでほほえましく見れますが、現代であればまた別の解釈も出てくるのは当然です。

「生類憐みの令」の真実 単行本 – 2019/9/20

説明
将軍綱吉は、動物を愛していなかった──
「生類憐みの令の全貌」が初めて明らかに。

徳川五代将軍綱吉は、二十数年もの間、生類憐みの令を出し続けた。
犬、馬から、鳥、魚介類、虫まで、あらゆる動物への慈愛を説き、その理念と実践を人々に強要したが、
彼はなぜ、そこまで過剰な行為に走ったのか?
個人的な願望をこれほど赤裸々に表明し、周囲に強要し続けた将軍は、歴代将軍で綱吉しかいない。
生類憐みの全法令をつぶさに検証し、綱吉の心の闇に迫る。

<内容より>
●犬を実際可愛がった形跡は、史料上1件しかない
●将軍になるまでの肩書は「右馬うまの頭かみ」。馬を「自分の分身」として溺愛した
●鶴の保護令は、動物愛護ではなく、娘の「鶴姫」可愛さで出した法律
●同時代のライバル、徳川光圀の方がよっぽど動物愛護家
●中野犬小屋は、犬の楽園どころか正反対の空間だった
●綱吉政権下で起こった赤穂事件。赤穂城引渡しの時、城に犬は何匹いた?

仁科 邦男(にしな・くにお)
1948年東京生まれ。70年、早稲田大学政治経済学部卒業後、毎日新聞社入社。下関支局、西部本社報道部、『サンデー毎日』編集部、社会部などを経て2001年、出版担当出版局長。05年から11年まで毎日映画社社長を務める。名もない犬たちが日本人の生活とどのように関わり、その生態がどのように変化してきたか、文献史料をもとに研究を続ける。ヤマザキ動物看護大学で「動物とジャーナリズム」を教える(非常勤講師)。著書に『九州動物紀行』(葦書房)、『犬の伊勢参り』(平凡社新書)、『犬たちの明治維新 ポチの誕生』『犬たちの江戸時代』『西郷隆盛はなぜ犬を連れているのか』(いずれも草思社)がある。




返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です